おいでんさんそんセンターのセンター通信ブログ

澁澤寿一氏×センター長対談【H29年度くるま座ミーティング】

2018年02月21日


基調報告に引き続き、豊森なりわい塾塾長の澁澤寿一氏とセンター長の対談では、おいでん・さんそんセンターのこれまでの5年で見えてきたものは何なのか、これからの5年に取り組むべきことについて両者の想いが語られました。

辰吉センター長(以下、辰吉):センターを立ち上げ、見えてきた未来の実現に向けて5年やってきました。これからの5年何をやっていくのかというヒントをこの対談で得たいと思います。
 澁澤さんは全国の地域づくりをいろいろ見ておられます。全国から見てセンターの取り組みの方向性はどうなのかを、まずお聞かせください。

豊田に関わった経緯

澁澤寿一氏(以下、澁澤):私が豊田と関わるようになったいきさつから話したいと思います。
最初に私が豊田にお邪魔したのは20年近く前でした。丹羽健司さんという森の健康診断をやっている方が主催するシンポジウムに呼ばれて初めて豊田に来て、足助の小澤庄一さんという名物おじさんと対談させられたのが最初でした。小澤さんは、何回も宮本常一さんという民俗学者を呼んでシンポジウムをやっておられた。そのきっかけとなったのが「名倉談義」という名倉地域の村の人間関係を含めた美しさを書いている本です。小沢さんは名倉のような美しさをもう一度再現したいということで、三州足助屋敷を作ったそうです。三州足助屋敷を作って豊田市の中山間地域を全部名倉地域として、その生活をよそから来た人に見せていくというようなものにしたかったのに、テーマパークになってしまった。それでは一般の人たちの価値観に広げていけないということをおっしゃっていたのをよく覚えています。
 「何とかおれの目の黒いうちに、田舎の良さをみんなが考えるような社会にするために手をかしてくれよ」という話になって、それから豊田に通うようになりました。

都市と山村をワンセットに捉えた異色の取り組み



澁澤:おいでん・さんそんセンターのような組織が外からどう見えるか。全国の自治体のほとんどすべてが移住対策だとか、観光の対策とかで何とか人を引き込もうということでやっきになって色々なお金、行政施策をつぎ込んでやっています。だけどセンターみたいな機能は全国どこにもないと思う。もっと小さい自治体、1000人とか3000人くらいの自治体の、とっても変わった人が、「ひとりおいでん・さんそんセンター」みたいなことをやっていることはあるかもしれません。保育料をただにするとか税金を安くするという経済的支援で外から人を呼び込もうという動きもありますが、おいでん・さんそんセンターは経済的支援などではなくて、やろうとしている。   
 豊田市には、トヨタ自動車があって、かつてはお金が潤沢にあった。ありとあらゆる山村振興施策をやってきたし、補助だとか交付金など色んな形でお金も出してきた。それでは中山間地の疲弊を止めることができなかった。視点を変えて都市と農山村をワンセットに捉える、お互いが対等な持ちつ持たれつの関係を作るにはどうしたらよいかということで考えられたのがセンターだと思う。
人が中山間地に住むというのは結果です。都市のなかに過疎地域が出てきたり、トヨタ自動車が電気自動車に移行したときに雇用はどうなるんだろうとか、決して都市も問題を含んでいないわけではなくて、むしろ都市のほうに、はるかに深刻な問題がある。中山間地には食糧と水、エネルギーを自給することができるけれど、都市は全くそれらを自給できない。経済で生きるしかない。経済成長戦略が描けなかったら、都市は破滅するしかないという恐怖感におののいていないといけない。
 それなら競争世界や、勝ち組負け組を作らないで生きていく。都市と田舎が持ちつ持たれつの関係のなかで、内部循環経済を大きくしていって、なおかつトヨタ自動車という外部からお金を持ってくる機能も成り立たせる。その中で、人が経済ではなくて、幸せを自然のなかや人間関係のなかで作って生きることを実現する。そのために、推進役の人と、それを支えるプラットホームが必要だと、最初の3年間は豊田市という行政機関としておいでん・さんそんセンターを立ち上げました。これまで民間で活動してきた人たちがそこに加わる形で進めてきて、今それが一般社団法人として民間になったという移り変わりをしています。
 移住定住だとか、中山間地振興で作られた施策は他にもありますけれど、都市、農山村を全く違う視点でとらえて、これから運命共同体で生きていくのにどうしたら環境を作れるかということをやっているのはおいでん・さんそんセンターだけだと思います。どんな形でできたらいいのかは全く分からなかったし、最初のころは鈴木辰吉さんの頭のなかにもイメージが浮かばなかったと思うんです。落ち着いたところが半官半民みたいな組織ですよね。官がまったく絡んでないわけじゃない。だけど民間が基本的に主体になっていく。
 鈴木さんは長年豊田市の行政の中核で色んな行政施策をして、中山間地振興をやってこられました。なぜおいでん・さんそんセンターについて、「これでいけるんじゃないか」という実感を持つようになったのか。この5年間どういうふうに思ってきたのかをお聞かせください。

山村を諦めることは、日本を諦めること



辰吉:私は市役所の産業部に30年間いました。経済成長の最中、「勝つために何をするか」、ということを商業者や企業など産業に関わる皆さんにずっと言いながらやってきたのが、今「移住だよ」と言っている。今、「産業は必要だけど二の次だよ」と言っている。なぜそうなったのか。私が山に暮らしていて実際に周りの状況を肌で感じ、このままでは中山間地域は続かないという危機感がありました。仕事の忙しさにかまけて見ないようにしていたのですが、定年間際の頃に、澁澤さんをはじめ色んな人が押しかけるようにしょっちゅう来て、「都市と農山村をつなぐ、そういった機関を作りませんか」ということを熱っぽく語られた。最初は「何を言っているんだこの人たちは」と思っていました。周りの状況、定年退職も大きく作用して「第二の人生はこれにかけよう」と思いながら、正直半信半疑でした。
 引き金になったのは2012年の10月に新城市で開催された全国過疎問題シンポジウムの山崎亮さんの基調講演でした。「今ここにおられる山村地域の皆さんがあなたの地域を諦めるということは、高齢化に覆い尽くされること、この日本を諦めることですよ」と述べられました。それで澁澤さんたちの言っていることが、腑に落ちたんです。「豊田市でなら何かできるかもしれない」、そういうふうに考えて、市の関係者と相談しながら、おいでん・さんそんセンターという中間支援機関を作ることになりました。

澁澤:今日はおそらく、他の地域の行政の方も来られていて、移住定住とか農山村の過疎化を大きな問題として捉えていると思います。辰吉さんは、行政にいた際にいろんな施策をされてきて、地域のためにお金も使ったし、人も手間もかけてやってきた。行政だけでは進まなかったことが今のおいでん・さんそんセンターで進んでいる。1歩先へ踏み出せるところまで来たということについてどんなふうにお考えですか?

民間が自ら決めて、自ら動く

辰吉:私が「引きずり出された」というのはあながち違っていない。そして「引きずり出した人」というのは、現在も本当に真剣に取り組んでいただいたいます。プラットホーム会議というおいでん・さんそんセンターの運営を司る会議に出席いただいていて、全てはそこ決まっています。行政からは細かい仕様書はありません。「田舎暮らし総合窓口を運営して、一定の成果を上げなさい」、「都市と農村をつなぐマッチングを年間30件くらいやりなさい」ということは言われます。やり方などについてはあまり指示がなく、任せられている中で、私を引きずり出した人たち、その人たちに関係する色んな活動団体の人たちが今おいでん・さんそんセンターを支えてくれています。
 これまで行政だけが旗を振って上手くいかなかったことが、おいでん・さんそんセンターになったら動き出したということが随分たくさんあります。NPO、研究者、住民の代表の方などがやろうと自ら決めて動いている。それが最大の要因だと思います。この5年でネットワークが地域を越え、愛知・岐阜・長野までどんどん広がっています。



澁澤:私たちから見て、行政がお金と施策を出してくると住民にとってはどうしても『受け』になります。最初は来ていたお金が段々少なくなると、どうしても行政にぶらさがってもっとお金をくれという話になるし、段々行政にやらされている感が出てきてしまう。やらされている感が出てきた瞬間に、お役に感じて、「俺は1年我慢したんだから次お前やれよ」みたいな嫌な感じになってくる。自治は全く育たず、ただやらされて上からお金が落ちてくる形になる。
 おいでん・さんそんセンターは民間の側から作ろうと持ち掛けたこともあり、地域住民、NPOの人たち、色んな団体の人々も出てきて、課題意識を持った人たちが話し合いながら、官だけではなくて、民が主導で地域を作っていった。それが今までありそうでなかった形態だと見ていますが、どうでしょう。

自治の先駆者たちがいた

辰吉:おいでん・さんそんセンターができたから、自治が動きはじめたというところも無くはありませんが、いま先頭を走っているところは、以前からそういう動きがあったように思います。
 例えば足助の冷田自治区。ここは合併する前から移住に注目をして活動を進めておられました。新盛自治区の新盛里山交流塾は、合併直後ぐらいに立ち上がりました。定年退職して村に戻ってきたら周りが荒れ放題になっていた。これでは、「おまえの財産だぞと言って次に渡せない」と、元気のいいおじいさんたちが裏山をきれいにし始めたら、これがしんどくて仕方がない。「都市の連中をだまくらかして、上手に使って片づけさせよう」とやり始めたら、それが楽しくて交流塾の活動につながった。自治を意識していたかはわかりませんが、そこにはキーマンがいて「このままではいけない、自分たちで何とかしよう」と動き出しています。この例のように自治のモデルになる地域が4~5つあります。おいでん・さんそんセンターは山村地域の色んな地区に出掛けていって、出前講座のなかで、それらの事例をお手本として見せています。

澁澤:先駆的にやっていた地域は、10年やっていくと、みんな10歳年をとるんですよ。どんな先進的な地域で何人かでやっていても、次の世代にバトンを受け渡していくことを考えないと、その人たちの世代だけで終わってしまう。ところが後ろを振りかえってみると自分たちの次の代は地域に根付いていなくて、どうやってバトンを渡していいかわからないということが全国的にどこでも起きていると思うんです。それを支えて、バトンを引き継いでくれる人たちをつないでくれるというおいでん・さんそんセンターの役割がとても大きいと感じています。



地域をつなぐ人材育成

辰吉:先ほどの基調報告でも話しましたが、残ってきた地域、そうでない地域がまだら模様で存在している。残ってきたところには、必ずリーダーがいてけん引をしているということが見えてきました。だからこれからは人材育成がとても重要になると申し上げました。センターが手掛けてきたのは、「ミライの職業訓練校」。これは地域リーダーを育てるとかそういうことではなくて、都市部に暮らしながら生活をしているけれど、このままでいいだろうかともやもやしている人たちが、生き方をお互いの関わりの中で見つけ合う。例えば、それが農村で起業することにつながればそのひとが地域のリーダーになっていくかもしれないということも想定しながら、人材育成の一部として3年間やってまいりましたし、今後も続けていこうと思っています。

 豊森なりわい塾の塾長を澁澤さんがやって9年。センターのスタッフのうち3人は豊森の卒塾生ですし、卒塾生は様々なところで活躍されていて、地域のリーダーになっている方もいます。間もなく10年を向かえようとしている豊森なりわい塾を率いてきて、どういう展望が見えたのか、これからをどのように考えているのか、お話しいただければと思います。

豊森なりわい塾の次のステップ

澁澤:豊森なりわい塾を簡単に説明します。今から9年前、リーマンショックの年です。トヨタ自動車は社会貢献推進事業として、それまでトヨタの森を中心にした自然観察などの環境教育を進めてきた。これから環境を考えるときに、環境問題に詳しい人を育てるよりも、地域でちゃんと地に足がついて働ける人、そこで暮らしを作る人を育てていかないと、環境問題が社会問題として解決していかないんじゃないかという意識を、その年にトヨタ自動車が持った。やってみましょうということで、私たちが参加しているNPOと豊田市が一緒になってスタートしたのが豊森なりわい塾でした。
 わずか9年前ですが、田舎は働くところがないから過疎になるという漠然とした想いをもったスタッフが圧倒的に多かった。「田舎でもスモールビジネスをたくさん作っていけば食っていける」という風に、ビジネスの世界のなかで地域を考えていたんです。リーマンショックの後、豊森がはじまって、3.11の震災がありました。リーマンショックで経済をゆさぶられ、地球をゆさぶられ、社会をゆさぶられ、段々考えが変わってきた。経済をどう作るのかというのは結果の問題。生き方を選択するというのは、「あの企業よりこっちのほうが時給が高いから選択する」ということではなくて、自分自身と向き合って、「自分はどういうことが幸せなんだろうか」と自分自身とちゃんと向き合うという形じゃないといけない。例えば、いろんなところでやっている田舎ぐらしフェアでは、田舎をパラダイスみたいに都市住民に紹介している。「それは本当?!」というふうに思うわけです。
 田舎に来たっていろんな嫌な問題はたくさんある。その時に都市と田舎を比較するのではなくて、自分自身のなかで自分の価値観をちゃんと作っていく。田舎には自然もあって農地もあるし、作ろうと思えば肉体を活かして、自分の暮らしが作れる。自分の食べ物を自分で作ることができる。ある場所で自分の生き方をちゃんと見直すというのが豊森なりわい塾の目的なんだということに、私たちもだんだん気づいてきました。
 僕や辰吉さんみたいに60代になると地域づくりの一番の近道は人材育成だということに何となく気付いてくる。人が地域をつないでいくことのすごく重要なファクターだとわかって9年間続けてきました。来年度で一区切りです。その後は、おいでん・さんそんセンターが引き継いで、豊森なりわい塾と同じ趣旨で続けていける人材育成機能を中間支援機関のなかに作ることが、施策をどうやって進めていくかというのと同じくらい重要だと思っています。

 人を育てながら前に向かって進んでいく。ちょうどこれからの時代は価値観も急激に変わっていて、去年の3月には大改革した教育要綱が公示されました。これだけ覚えていれば社会で最低限通用するという知識を教えていくことが義務教育であったのが、もう社会がどう変わるのかわからない。これから10年で現存する仕事の47%はAIなどにとって代わられて消えていく。そういう中で「働く」ということの質がまるで変わってくる。自分で何をどういうふうに学んで、どう社会に役立てるかを自分で考えられるかを対話や人間関係のなかで見つけていけるような子を育てるサポートが義務教育であると変わりました。これぐらい社会全体が大きく変わってくるときに、多分おいでん・さんそんセンターや、その中の機能としての人材育成セクションは、21世紀の後半に向かっている私たちの重要な財産の一つだと思います。時代が移り変わって経済が停滞したときに、経済を指標としない生き方を見つけていくおいでん・さんそんセンターのような機能がますます重要になると思っています。

 最後にこれから先の5年間に向かってどんな風に進もうとしているのか辰吉さんにお聞きしたいと思います。

おいでん・さんそんセンターのこれから



辰吉:これまでの5年は本当に手探りでしたが、どういう社会を作っていくかという方向性はぶれていなかったと思います。この5年間は、「どんな相談も断らない」ことを鉄則に全部受けてきました。これはすぐにパンクしてしまうなと思っていましたが、何一つ断ることなく全部こなして来ました。それは何でかと考えると、先ほど澁澤さんが言われた「ひとりおいでん・さんそんセンター」みたいなのが、周りにいっぱいできていたんです。「このことがあったら、このひとにつなげばいい」というのがどんどん広がってきたんですね。これはひとつの有り様として良いと思っています。これからの5年は、受け身ではなく、能動的に課題に向かって、センターの側から取り組んでいきたいと思っています。

 築羽小学校という旭地区の廃校で、「つくラッセル」という拠点施設が、総務省のふるさとテレワーク推進事業の補助金ももらって、始まっています。人材を育てる拠点、スモールビジネスがまきおこる拠点、福祉の拠点、ものづくりの拠点など、多様な機能を持った場所です。ここを一般社団法人おいでん・さんそんも、コンソーシアムに加わって一緒に運営していこうと思っています。つくラッセルのような拠点と連携を取って前に進む取り組みを行っていきたいというのが1つ目、2つ目は、先ほども話題に出ました人材育成。それから3つ目は、この5年間の様々な学びを日本中に横展開していくことです。4つ目として「集落のたたみ方」ということで、これは即座に研究に入りたいと思います。



澁澤:今日お見えの方々、行政の方々も是非おいでん・さんそんセンターに一度お越しいただければ、同じ目線で色んなことをお話しできるのかなと思っています。月1回はプラットホーム会議も開かれます。結構熱の入った議論が交わされています。そんな様子も見ていただければ、なんとなく温度を感じていただけると思います。
 いま鈴木センター長からお話しがあったように、自分たちの集落を残すか残さないかは行政が決めるのではなくて、自分たちで決めることです。決めないといけない場面に、必ずこの数年のうちに直面をします。そんな中で、少しでも多くの方にこの活動に参加していただいて、仲間として、中間支援組織あるいは中山間地、あるいは都市と農村の関わりを作っていけるようにしていきたいなと思っています。今日いらした方はもう私たちの仲間だと思っています。どうぞよろしくお願いします。

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基調報告『見えてきたミライ』 【H29年度くるま座ミーティング】

2018年02月21日


平成29年度いなかとまちのくるま座ミーティングを2月4日に開催しました。
基調報告「センター5年の軌跡~見えてきたミライ」で、鈴木辰吉センター長がこれまでの取組みと、見えてきたミライの形について述べましたのでご紹介します。

①いなかとまちをつなぐ「中間支援」のかたち

・新しい時代に向けた豊田市の挑戦
 「中間支援」とは、元来NPOの活動支援、NPOはじめ市民活動団体と行政との協働を仲介することを指します。おいでん・さんそんセンターは、いなかとまちをつなぎ、双方の強みで課題を解決に導く、新しいタイプの中間支援機関です。センターのなりたちを話す時間がないですが、豊田市は2005年に合併をして、山間地区に相当の投資をしながら、経済対策や社会資本整備を重点的にやってきましたが、人口減少にはほとんど効果がありませんでした。むしろ合併前の人口減少率は10年で8.5%でしたが、合併後の人口減少率は10年で14.2%。思い切り加速をしてしまいました。
 経済対策や社会資本整備だけでは効果が見いだせなかった人口問題に対する新たなアプローチが、豊田市の挑戦としての「おいでん・さんそんセンター」です。都市と農村をつなぐことで双方の課題解決をすることがおいでん・さんそんセンターの存在意義です。

・拡大と成長の時代が生んだ様々な社会課題
 5年間で約170のマッチングをしてきました。山村部からは、過疎に伴う集落活動の停滞、森や農地の荒廃などの課題、都市部からは、生きがいや社員教育、子どもの教育などの課題が持ち込まれ、向き合ってきました。
 それら過疎、格差、環境問題というのは、拡大と成長の時代が私たちにもたらした豊かさの代償である負の課題ばかりでした。センターの仕事は、拡大と成長の時代に、断ち切られてしまった都市と山村の絆を、1本1本結び直す迂遠(うえん)な取り組み、作業とも言えます。

・公の信用と民の迅速性、柔軟性、専門性
 豊田市が中間組織としてセンターを立ち上げ、昨年の4月に民間に移行しました。半官半民。行政には信用があり、民間には迅速性・柔軟性・専門性があり、その両方を兼ね備えた組織は使い勝手が良いです。市の窓口である「おいでん・さんそんセンター」を民間の「一般社団法人おいでん・さんそん」が運営する形は、公の信用を背景にしつつ民の迅速性、柔軟性、専門性を発揮できます。

②過疎とどう向き合うか

・価値観の多様化と移住
 都市部の人口が山村部の人口を上回ったのは1950年代。もともとは山村のほうが、人口が多かったのですが、高度経済成長と共に都市に人が集まり、1950年代に逆転をしました。国土の3分の2をわずか5%の人口で治めなくてはならない現状を「過疎」と言っています。国土の3分の2は、本当にまばらで5%の人しか住んでいません。
 豊田市の人口は425,000人、合併5町村の人口は22,000人。ちょうど5%の人口で市域の3分の2を治めています。豊田市は、そういう意味でも、まさに日本の縮図といえます。豊田市は、2016年3月に山村地域だけの人口ビジョン「おいでん・さんそんビジョン」を策定しました。毎年40世帯の子育て世代の移住を果たせば、山村地域は持続可能な地域になるという計画です。豊田市を国土に見立てた場合、40世帯というのは、都市部の世帯170,000世帯の0.0002(0.02%)が移住するだけで過疎問題が解決するということになります。本当にわずかな人が移住するだけで過疎問題が解決することがわかります。
 内閣府の2014年の世論調査では、都市部住民の31.6%が、「どちらかというと」という人も含めて、農山漁村に暮らしてみたいと答えています。2005年の調査では20.6%でした。この間には東北の大震災がありました。大きな災害などがあると、人々の意識が大きく変わるということが表れていると思います。31.6%の方が可能なら農山漁村に暮らしてみたいとおもっているわけなので、0.02%の人が来てくれればいいのに、そんなに来てくれる必要はないわけです。過疎対策は、大したことがないということをここで強調したいと思います。
 価値観が多様化し、山村で暮らしたほうが幸せだと考える都市部の人が増えています。過疎対策には、経済対策や、社会資本整備も大事ですけれど、「過疎対策=移住対策」と言いかえても良い程、移住対策は過疎対策に有効だと思います。

・「関係人口」が地域を支える
 つい最近、総務省が、公式文書の中で「関係人口」という言葉を使い始めました。交流人口以上、定住人口未満の人たちのことを指し、企業のCSRや山村体験に通い詰める人、山村地域の物産を恒常的に買い支える人などのことを言います。
センターでは、かねてから「関係人口」という言葉は使っていませんが、こういう方たちの重要性を意識して取り組みを進めてきました。

・過疎なんかこわくない
 移住を進め、「関係人口」を増やせば、過疎なんかまったく怖くありません。
空き家情報バンク制度を利用した移住は、8年間で170世帯、430人。年平均20世帯以上で特に今年度は4~12月時点で29世帯、70人。目標の40世帯は目前です。決して高いハードルではありません。



③地域の持続化と住民自治

・移住、関係人口を受け入れる自治
 移住、関係人口を受け入れている地域はどこか。残念ながら、山村地域で満遍なくという状況にはなっていません。まだら模様です。
 旭地区の敷島自治区、足助地区の新盛や冷田自治区、下山地区の和合自治区などが突出していて、そこには地域の存続をかけた住民自治の営みが顕著にみられます。拡大と成長の時代に分業化が進み、行政依存、住民自治の後退があったことは否めません。自治の復権が地域の持続化につながるのだと思います。

・住民自治をけん引するのは人材
 そして、住民自治の営みが顕著にみられる地域には住民自治をけん引するリーダーが必ず存在しています。地域リーダーの育成、発掘といった人材育成がこれからますます重要になっていきます。
 一方、日本全体の人口が減少を続ける中で、全ての集落が存続できるわけではありません。センターでは、「上手な集落のたたみ方」をテーマに研究に着手しようとしています。後退的な発想はだめじゃないか、と言われるかもしれませんが、全部の集落が残っていくことはありえません。中には、たたんでいく集落もあります。どうやってたたんでいくかということは重要な事だと言えます。センターは早速その研究に着手していきたいと思います。

・真の地方創生
 日本全体の人口が減少しています。国を批判するつもりではないですが、全体のパイが減る中で、地方創生の名のもとに自治体間の人口争奪戦、ふるさと納税の返礼品合戦が繰り広げられているのは、全く不毛の戦いではないでしょうか。
「移住」は、一般的には県外からの移住を指します。長野県ではそういうふうに定義されています。しかし豊田市の「移住」の定義は違います。地域の担い手を受け入れることを言い、市内からの移住、県内からの移住を歓迎しています。したがって人口争奪戦でパイを奪い合うとはまるで違う次元の考え方をしていると言えます。地方は、かつては「じかた」と読み、対置するのは中央ではなく「町方(まちかた)」でした。食料や人材、物資などが循環する「じかた」と「町方」の関係こそ真の地方創生原点にあるということを、京都市立芸術大学 鷲田清一(わしだきよかず)さんが新聞で述べていますがまさにその通り。豊田市でも都市といなかをつないで色んな循環を起こしていきましょう。そのことが全国に横展開していけば、日本という国の地方創生が叶うと考えています。

④山村の暮らしが教えてくれるもの

・自然と土とともにある山村の暮らし
 私は、合併した旭地区の山のてっぺんに住んでいます。山村の暮らしは、人が自然の一部であることを、自然や他者と結びあうことで安心できる存在であることを教えてくれます。人類の驕りを制御してくれる場所でもあると考えます。

・買う暮らしと幸福感、つくる暮らしと幸せ
 都市では、お金さえあれば何でも買えます。拡大と成長の時代は、全ての価値をお金の量で測ることを一般化し、幸福かどうかさえもお金の多い少ない、他人との比較でしか判断できなくなっているように思います。「うちはあそこより所得が多いから幸福かもしれない」というのは、幸福ではないと思います。「幸福感」程度だと思います。
山村の暮らしや、自給や支えあいをベースにした「つくる暮らし」は、他との比較ではなく、今あることの喜び、安心といった普遍的な「幸福、幸せ」をもたらします。そういう価値観の人が移住先として山村を目指してどんどん来ています。

・山村を山村らしく磨き上げる
 従って、便利な都市に山村を近づけようとするのではなく、山村は山村らしく磨き上げられなくてはなりません。

⑤見えてきたミライ

・先進国に富が集中した時代は終わった
 昨年の9月の一般社団法人立ち上げ記念シンポジウムでセミナーを行いました。哲学者の内山節(うちやまたかし)さんがそこで述べました。「先進国に富が集中した時代は終わりました。現在、「強い国家」を取り戻そうとする動きと、共に生きる社会を作ろうとする動きが同時に進行しています。今に始まったことではなくて、かなり前から繰り返されてきました。そのどちらかが優先されて高度経済成長という150年くらいの時代が進められてきた。今またそれが問われています」と。先進国に富が集中する時代は終わったというのが内山さんの答えです。
「降りていく社会」、「経済が縮小する社会」。これまで成長してきた国は、降りていく社会に舵を切るべき時が来ています。

・「縮充する地域」と参加の仕組み
 コミュティデザイナーの山崎亮(やまざきりょう)さんが「縮充する日本」という本を出しています。 「人口や税収が縮小しながらも地域の営みや、住民の生活が充実したものになっていく仕組みを編み出さなくてはならない時が来ている。それは、楽しく誰もが参加する仕組みであり、その向こうに日本の未来がある」と書いてあります。「縮充」という言葉は新しいですが、今まさに豊田市でそれに取り組もうとしているのがおいでん・さんそんセンターです。

・生き方が選べる社会、支えあう社会
 見えてきたミライは、「生き方が選べる社会、支えあう社会」です。
 2017年国連の世界幸福度ランキングでは、ノルウェイが1位、日本は先進国最下位の51位。それでも2016年より2位上がっています。主要な指標は「人生の選択肢がある」、「身近に相談できる相手がいる」、「余暇と仕事にメリハリがあるか」などです。もちろんGDPなどの経済指標も含まれますが、それを以ってしても51位。「人生の選択肢がある」、「自分の生き方を自分で選べる」ということが順位を上げていますが、日本はまだそういう社会になっていません。我々がこれから求めていくのは、生き方が選べる社会。身近に相談できる相手がいるというのは、まさに支え合う社会だと思います。そういう社会に向かっていくのだろうと思います。



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小型電気自動車「コムス」の貸出し先を公募

2018年02月14日

 豊田市足助地区や旭地区で、高齢者の移動手段の改善に取組む「あすけあいプロジェクト」が、小型電気自動車「コムス」の貸出による使用者を公募します。ご興味ある方は、おいでん・さんそんセンターまでお問合せください。

以下詳細です**************
 中山間地域での生活の質向上や地域の持続性の向上を狙い、あすけあいプロジェクト活動を行っていますが、その中で日常の足として“コムス”が有益と考えてすでに社会実験としてご使用頂いています。
 今回、コムスの使用前後、使用途中でのデータ取得のため、新たにその使用者の公募を行ないます。

【コムスの特徴】
〇1~2Km程度のちょい乗りに最適!(普通免許は必要)
〇操作が簡単 (すぐ慣れる)
〇幅1mで小さく小回り (駐車が楽)
〇家庭用コンセントで充電 (簡単)

《公募内容》詳しくは、応募後面談等でご説明を致します。
①応募期間・人数:平成30年2月末まで(12名)
②貸出条件:社会実験に同意できる70歳代の方で、普通免許をお持ちの方
③コムス貸出期間:平成30年4月初から7月末まで
④使用地域:豊田市内で主に足助・旭地区の方
⑤費用:充電費、交通費は個人負担

《公募先》
名古屋大学未来社会創造機構 あすけあいプロジェクト
(名古屋大・豊田市・足助病院などによる協働事業)

《申込・問合》
おいでん・さんそんセンター
豊田市足助町宮ノ後26-2(足助支所2階)
0565-62-0610
sanson-center@city.toyota.aichi.jp 

★今回の社会実験は、コムスサークル活動※の一環として実施します。
※豊田市民の方々が楽しみながら超小型EVを改造・試用する集まりです。


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【小原地区-23】空き家情報バンクに新規物件が登録されました

2018年02月06日

空き家情報バンクに新規物件が登録されました。
【小原-23】の千洗町の物件です。

山間にたたずむ古民家です。
2/26(月)まで申し込みを受け付けています。

詳細はこちら

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1/20開催イベント中止のお知らせ

2018年01月19日

多様な「はたらく」と「生活・子育て」の両立を体感しよう!@豊田の田舎については、諸事情により中止になりました。
予定していただいた皆様、関係者の皆様、申し訳ありませんでした。

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